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じゃが塩バター が美味しい [お菓子]


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じゃが塩バター、とっても美味しいです。

駄菓子屋さんに行くと、よく売ってます。最近は、イオン系のスーパーへ行くと、お菓子が充実してて、駄菓子コーナーがあるのですが、結構品揃えがよく、一個10円単位の商品が並んでいるのです。
そこでゲットしましたよ。

ダイエットしているわっという方は、お菓子なんて厳禁だ~っと思うと思うのですが、こちらは、ひと袋に3枚入っているだけの、61cal

ごはんよりも少ないですね。

つい食べ過ぎるという方は、こんな駄菓子を1袋買うと、食べ過ぎるということもなく安全なんです。

こちらのじゃが塩バターは、乾燥している食べ物で、1枚1枚が薄く出来ていまして、
噛むと、サクッっと割れます。なぜがふわっとした感触が唇にあたります。

それがとても心地よく、すぐもう一枚食べてしまいます。するとすぐに空っぽになってしまうのです。。。

味がサイコーにいいので、リピート3回目です。

作った会社は、どこなのでしょう

会社名:東豊製菓株式会社

本社・工場 :愛知県豊橋市春日町

創業: 昭和23年10月10日

社員数 75名

お菓子の会社は、終戦後からずっと続いているところが多いのでしょうか。以前調べた会社もやはり終戦後からでしたね。

お菓子の位置づけを考えてみると、食べ物の中で、お菓子というと、やっぱり贅沢品だと思うのですよ。
楽しみのひとつです。

決して栄養をお菓子で取れるわけではないのですから。
ご飯を食べたらお菓子を食べていいと許可がおります。

ちなみに子供は、お菓子をごはんより先に食べてしまって、肝心なご飯が入らなかったら、怒られます。

そんな贅沢なお菓子が終戦後、もてはやされたとは。

やっぱり、戦後の何も無い時代であっても、お菓子を食べたかったんだなぁっと思います。

勿論、庶民の口に入るというのは、そうしょっちゅうお菓子を食べていたわけではないと思うので我慢もしていたと思うのですが、食べたい欲求を叶えていたとは。
きっとお菓子屋さんの存在は、あこがれの対象だったでしょう。

材料が揃わない時代の終戦後のお菓子屋さんは、お菓子を店頭に並べられるわけではなさそうです。

人々が砂糖を持ち込んで、お菓子を作ってもらっていたそうなのです。
ですから、販売ではなく、製造をしていたということですね。

昭和40年代の頃には、ポン菓子を作る機械を公園に持ってきて、作ってくれるおじさんがいましたね。

子供たちが、材料となる米を家庭から持って行って確かお金も渡していたと思います。
そのおじさんに渡すとポン菓子ができるのです。
ものすごい爆音がして、それは怖かった思い出が。
いつも米とコインを渡したら、走って離れたところで耳を両手で押さえて、爆音を今か今かとドキドキしながら待っていました。
バーンと大きな音がポン菓子の完成の合図です。
お菓子をその場で作る仕事が成立していた頃ですね。

節約を紹介するTV番組で、オードリー春日が飴玉を一個をペットボトルに入れて水をいれてジュースを作っていたのを思い出しました。節約中のお菓子だと思いますが、味はとっても薄いとレポートされていましたね。

ほたるの墓でも、さくらドロップスの缶の中に水をいれて飲むシーンもありました。これもきっと薄い味だったんだろうと思います。

砂糖だけでできるデザートっといったらどんなものがあるでしょう。

かき氷に砂糖を煮詰めたシロップをかけて食べるかき氷
カルメ焼き
綿菓子

なんだかお菓子を作ってみたくなります。








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